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上杉謙信公、上杉景勝公、直江兼続公ゆかりのお寺!越後浦佐「普光寺」・白山神社・千手院(新潟県南魚沼市)

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いつもの行き当たりばったりドライブで行ってきた。

龍を見たいという私の希望で越後浦佐「普光寺ふこうじ」に行くことになりました。
途中、おトイレタイムで立ち寄ったセブンイレブンでご当地お土産を発見!
ドリンクと一緒に買ってきた。
新潟魚沼地方っていったら「雪の下にんじん」ですよ!

【越後浦佐毘沙門堂裸押合大祭】2024年3月1日・3月2日
交通規制や近くのホテル・浦佐駅から毘沙門堂までの時間を追記しました!

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越後浦佐「普光寺」山門(仁王門)と毘沙門堂

2023年4月29日に行ってきました。

越後浦佐毘沙門堂に到着

参道から見上げると、吉祥山の山号が掲げられた山門が見えます。この山門は、約170年前の天保2年(1831年)、酒造業や物産の流通事業を手掛け、江戸や大阪との交易で大きな富を築いた関市四郎氏(屋号若松屋)が建てたものと言われています。

山門の棟梁は六日町の宮大工内藤藤蔵で、彼の先祖は越前出身で、坂戸城の建築に関わった宮大工でした。内藤棟梁は、山門の新築を命じられると、日光の陽明門を詳しく調査し、山門のデザインを作り、工事を始めました。

この山門は、けやきの木材を使用し、耐久性と耐震性のある建物となっています。工事には10年以上の歳月と1万5000人以上の人手がかかったと記録されています。

hanami
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日光の陽明門みたいね

双龍図板絵

山門の楼下天井に描かれた双龍図板絵は、関市四郎氏が仏画師の板谷桂舟に依頼し、天井板を江戸まで運ぶ途中で宿泊した熊谷宿で、偶然にも同宿していた谷文晁師が自ら筆を取って描くことを申し出ました。最初は関市四郎氏が文晁師を知らずに申し出を断ったものの、文晁師の熱意により最終的に許可されました。この板絵は約170年間、風雪や湿気に耐えながら「八方ニラミの龍」として知られてきましたが、30年ほど前から墨線がほとんど見えず、龍の姿も確認できない状態となり、昔からの人々から修復の声が高まっていました。そのため、1997年1月に日本画家の永森一郎氏によって修復が行われ、板絵が復活しました。

仁王様とおみくじ

今年は、どこで引いても「末吉」

毘沙門堂

hanami
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浦佐駅に展示されていたろうそくを見たとき

偽物かと思ったら、本物だった件

毘沙門堂は807年に坂上田村麿将軍によって建てられ、インドの仏工毘首羯摩作の毘沙門天王が奉祀されました。

1221年に鎌倉幕府が地頭平繁基を通じて堂領を献じ、道乗坊弁覚を毘沙門堂別当に任命し、周辺を禁断の地と定めたことで、毘沙門堂の徳が顕著になりました。室町時代には武将や豪族が金や田地を寄進し、桁行五間・梁間五間・茅葺きの壮大な伽藍が建てられました。

1603年には堀丹後守直寄候が三十石の寄進をし、従前の堂領と合わせて五十石を領しました。徳川家光公以降、歴代将軍によって尊重され、堂宇の修理は魚沼全郡の公課で賄われる特典を持ち、明治維新まで続きました。大正6年には国の特別保護建造物に指定されたが、昭和6年に火災により焼失しました。ただちに再建が行われ、昭和29年には屋根を瓦葺きにしたが、40年以上経過後に再び故障が発生し、平成9年に信者の協力で銅板葺きの屋根に復元されました。

天井画と板絵、鮮やかに復活 新潟南魚沼市の毘沙門堂楼門公開へ | 新潟日報デジタルプラス
新潟県南魚沼市浦佐の毘沙門堂楼門を彩ってきた天井画と板絵が、3年間の修復を終えて再び楼門に設置された。描かれた当時の鮮やかさがよみがえり、関係者は「貴重な作品を後世につなぐ使命を果たせた」と胸をなで…

魂のろうそく

1本のローソクは約30kg~50kgあり、特別な製造工程を経て作られています。

白山神社

普光寺の裏手にひっそりとたたずんでいる白山神社。

かつては毘沙門堂の隣にある善光寺の敷地の中央に鎮座していましたが、明治時代の神仏分離政策により、浦佐(浦沢)城の入り口の横に移されたと言われています。

浦佐城は室町時代に大関氏によって建てられた山城である。大関氏は下野黒羽城主として知られ、大名としての家族の存続を確保していた。彼らは武蔵七党の一つである丹党の出身とされていたが、坂東平氏の出身説もあるようだ。御館の乱では、清水藤左衛門が浦佐城を守り抜き、上杉景虎の援軍として参戦した北条氏の侵攻を阻止している。

  • 御館の乱は、天正6年3月13日の上杉謙信急死後、上杉家の家督の後継をめぐって、ともに謙信の養子である上杉景勝と上杉景虎との間で起こった越後のお家騒動。

帰宅して調べたら御利益があるっていう木

浦佐普光寺には7本の大欅がありましたが、そのうちの1本、最も古いとされる「長寿けやき」は樹齢400年または500年と言われており、普光寺の象徴となっていました。

しかし、「傾き」が進行し根元の部分は朽ちているため、2014年、安全対策を重視し、枝を一部残し切ってしまったそうです。残された枝が、これからも歴史を作っていくといいですね。

千手院

南魚沼市の浦佐毘沙門堂の隣に位置する千手院を訪れました。千手院は真言宗豊山派のお寺であり、奈良の長谷寺が総本山です。この寺は浦佐毘沙門堂の塔頭寺院の一つであり、古くから千手観世音菩薩と秘仏である薬師如来を祀っています。

おまけ

地元の野菜と「おにぎりセット」が食べられるカフェ
近くのローソンから越後三山を眺める

御朱印

いつも行き当たりばったりなので、御朱印帳を持っていかない (^^ゞ

越後浦佐毘沙門堂裸押合大祭

日本三大奇祭の一つ 越後浦佐毘沙門堂裸押合大祭
男衆が「サンヨー、サンヨ!」の掛け声と共に毘沙門天を誰よりも早く、近くで参拝しようと押し合います。

駐車台数に限りがあります。乗合でのご来場を推奨します。
観光で観に行くなら「Tabist ホテルパラマウントin浦佐 南魚沼」でお泊まり観光が良いでしょうか?

夜は冷え込むので暖かい服装で!

3月1日〜3月3日の天気
ホテルパラマウントin浦佐
JR浦佐駅から徒歩3分
Tabist ホテルパラマウントin浦佐 南魚沼

浦佐駅から越後浦佐毘沙門堂までは徒歩で約5分です。

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引用・参照サイト・プレスリリース素材:PR TIMES
この記事は、2024/02/25時点での情報に基づいて書かれています。

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