雲洞庵(うんとうあん)の案内板をよく見かけていたのですが、なかなかご縁がなくようやく参拝できました。
越後一の寺・日本一の庵寺「雲洞庵」
「わらじ」がいっぱい!
新潟に引っ越してきてから、
あちこちの山門に「わらじ」が吊してあって、何だろう?と思っていた。
解決した!
ライター大先輩(@dylanadachi)の記事
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雲洞庵は、新潟県南魚沼市雲洞に所在する曹洞宗の寺院である。山号は「金城山」。本尊は釈迦牟尼仏。「雲洞院」とも。
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とにかく大きい!広い!っていう感じのお寺でした
もう少し早ければ、紅葉が綺麗だったかもしれません!
※この記事は2022年11月のものです
今から1300年前奈良時代内大臣藤原房前公の母が出家して庵を結び、金城山の霊水で沢山の病人を救いました。その後房前公は跡地に尼僧院を建立し母の菩提を弔いました。以来女人救済の庵寺として深く信仰されてきました。
その700年後室町時代関東管領上杉憲実公が藤原末裔の因縁で庵をうけ、曹洞宗雲洞庵を開創。日本一の庵寺、越後一の寺といわれています。
赤門の参道には法華経が一字一石にしるし深く埋められ、古来「雲洞庵の土ふんだか」といわれ、踏みしめてお参りしますと、罪業消滅、満福多幸の御利益に預かると信仰されています。
雲洞庵の土踏んだか
昔から越後の国では「雲洞庵の土踏んだか」といわれ、篤く信仰されてきました。
それは雲洞庵が関東管領上杉家の菩提寺として開創され、戦国時代では越後の、江戸時代では魚沼三郡の僧禄(僧侶の統括所)であり、曹洞禅の厳しい大修行道場として知られ。多数の修行者信者が来集したことによります。
また赤門から本堂に至る参道の下に法華経が一字一石にしるし埋められ、古くは特別の時以外は一般には毎年一度天下国家の太平万民の富楽を祈祷する大般若会の日のみ赤門が開かれ踏めるので、お参りした善男善女がそのありがたさに随喜してこのように言い伝えられたといわれています
本堂
永享元年(1429)上杉憲実公により創建され、宝永4年(1707)に再建。間口十四間、奥行き十間半。
新潟県出雲先の棟梁小黒甚内の大工群により建てられました。
縄文時代より続く日本海建築文化の到達点のひとつ、近世寺院建築の傑作として新潟県の文化財に指定されています。
苔むした感じが好き
廊下、ガラスないから
吹きさらし。
寒い。
それも修行なんだろうなぁ。
雲洞庵御朱印
御朱印帳を持って歩かないので (^^ゞ
藤原房前
藤原 房前は、飛鳥時代から奈良時代前期にかけての貴族。藤原不比等を父とする藤原四兄弟の次男で藤原北家の祖。官位は正三位・参議。贈正一位・太政大臣。
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大化の改新!
1300年も前に一人旅、しかも尼僧が越後の山深き寒村に、どうして来たんだろうって不思議に思ったら、南魚沼地方が藤原家の荘園だったからなのかな?
雲洞庵の近在には藤原家ゆかりの地名や神社仏閣が存在しているそうです。
直江兼続
17号線を通っていると
直江兼続生誕の地って案内見るけど
生誕の地はハッキリしていないらしいよ
越後上田庄(うえだのしょう)で生まれた。通説では、永禄3年(1560年)に樋口兼豊(木曾義仲の重臣・今井兼平の兄弟である樋口兼光の子孫と言われている)の長男として、坂戸城下(現在の新潟県南魚沼市)に生まれたとする説と、現在の南魚沼郡湯沢町に樋口姓が多いことから湯沢で生まれたとする説があるが、これらを立証する信憑性のある史料は確認されていない。
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ブルーコーラの鈴木農場は雲洞庵から近いので、是非マスタードを味わってみてね♪